OELキャンペーン 67(山中教授のプロパガンダ)

2005・3・17(木) レーザー核融合パイオニア物語 (26)

(英文パイオニア物語の和訳連載中)

電力中央研究所とはもともと放電・核融合・同位体分離・高電圧工学の関係で出入りさせて頂いたが原田達哉さんからのコメントがある。

「レーザー核融合研究センターの開所式に御招待戴きましてから毎年お伺いしておりますが、そのたびごとに新しい設備が完成し、研究が進展している様子を拝見して参りました。この間、とくに私が感銘を受けましたのは、大型プロジェクト研究にもかかわらず山中先生が基礎から一歩一歩着実に研究を進めてこられたことです。私共は結果を急ぐあまり基礎をなおざりにしがちですので、いつも反省させられて参りました。

私が山中先生に最初にお会いしたのは、先生が昭和41年頃私共の研究所に広瀬 胖氏を訪ねられたときかと思います。当時、広瀬氏は電気学会の調査理事を担当しておりましたので、レーザー関係の研究費の申請について説明に来られたように記憶しております。そのときには先生の御研究が僅か数年で今日のような大研究センターにまで発展されるとは想像も致しておりませんでした。

さて、核融合の重要性は云うまでもありませんが、電力分野における現実の大きな問題の一つに雷害があり、完全耐雷対策の確立が強く要望されております。現在までのところ、その対策は我が国の憲法と同じく専守防衛に徹しております。しかし攻撃は最上の防御であります。レーザーによる雷雲の誘雷、消滅が可能となれば、電力施設の完全耐雷も夢でなくなり、そのメリットは極めて大きいと思われます。この面でもレーザー核融合研究センターの研究の御発展を大いに期待しております。

核融合には各種の大電流技術が用いられております。私共、現在、大電流技術調査専門委員会(電気学会)で、この分野の技術について調査、検討しておりますが、山中先生はじめレーザー核融合研究センターの方々より大変御支援を戴いて参りました。将来この面で多少なりともお役に立つことができれば幸いと存じております。」

最近はそうでもないがかつて朝日新聞は核融合研究に大変関心が深かった。中でも尾崎正直さんはレーザーに興味を持っておられた。

1978年秋、私は21世紀に備える先端技術を取材するため、西ドイツ、仏蘭西、イギリス、アメリカと2カ月半ほどかけて回った。核融合ももちろんその対象の一つで、西ドイツではミュンヘン郊外ガルヒンのプラズマ物理研究所、イギリスではJETの建設準備が始まったカラム、アメリカではローレンス・リバモア研究所(LLL)の3カ所を見学した。なかでもLLLでは当時世界一強力なレーザーであるSHIVAで活発な実験が行われていた。案内に立ったのは若い研究者のマーク・サマーズ君で、私のためにわざわざ照射実験を1回やってくれた。

何本も腕を持つヒンズー教の神にちなんでつけたSHIVAは、20本のレーザービームを持っていたが、出力は合わせて10kJだった。核融合炉への最初の一里塚であるブレークイーブン(エネルギーの収支ゼロ)をねらうには、最低でも100kJのレーザー出力が必要であり、そのためビームを40本に増やしたNOVAの設計がすでに行われていた。

レーザービームの数を倍にするだけで、どうして出力が10倍にもなるのかという私の質問に、サマーズ君はすかさず答えた。「OK、それはレーザーの発振や増幅に使う特殊ガラスが進歩したからだ。SHIVAのは古い珪酸ガラスだったが、NOVAには新しく開発された燐酸ガラスを採用するため高利得が得られるのだ。もちろん装置自体も改良され、増幅器の数も多くするが大出力化のほとんどはガラスの進歩に負うところが大きい。」サマーズ君はここで一息置いて続けた。「この燐酸ガラスは米国のオーエンス・イリノイ社と日本の保谷硝子とから買い入れて調べているが、日本の保谷のが特に優れている。保谷はこの新しいガラスの開発で数々のすばらしい仕事をしている。」

実は私は眼鏡やクリスタル・ガラスで保谷の名前は耳にしていたが、世界一優秀なレーザー・ガラスまで開発しているとは、その時まで全く知らなかった。また、レーザー核融合で世界のトップを切ってブレークイーブンを達成する最有力候補であるNOVAの切り札が日本製ガラスにあったと聞いて、正直なところ意外にさえ思った。

このあたりのことは1979年2月から3月にかけて「朝日新聞」に連載した私の報告「21世紀への助走−科学・技術が目指すもの」や、それをまとめて加筆し、朝日新聞から出版した同名の著書でもふれたが、日本でどうしてそんなすばらしいレーザー・ガラスが開発できたのか、私にはまだよくわからなかった。

ナゾが解けたのは、1982年3月に私がホスト役の「週刊朝日」の連載対談のトップバッターを大阪大学レーザー核融合研究センター所長の山中千代衛教授にお願いしてご承諾をいただき、見学も兼ねて吹田市山田丘の研究所を訪ねた時である。山中先生は淡々とした口調で話しはじめた。

「あのガラスは大阪大学と保谷硝子とで長年かかって開発したものでしてね。もう十何年も前ですけれども、保谷の泉谷(徹郎)さんという技師長がガラスでレーザーができるそうですね、といって現れましてね。できるといったら、やってみたいから指導してくれないかという話になり、それからスタートしたのです。」

泉谷さんは、もともとは通産省の大阪工業試験所にいた方で、大工試は昔から海軍の光学ガラスで伝統があった。泉谷さんは保谷硝子へ移って新しいテーマを探していたのだった。日本のガラスも戦後、白金ルツボを使って溶解するようになって質が向上したが、レーザー用には白金がとけ込んでいるガラスは使えない。レーザー光が通ると、とけ込んでいる白金に沿ってひび割れが入るからである。連続溶解の技術でこの問題は解決されたのだが、これが日本の燐酸ガラスが世界水準に達した秘密だったと、山中先生は話してくれた。

1978年の秋、私がLLLでSHIVAを見ていたころには、阪大ではもう世界で初めて燐酸ガラスを使ったレーザー核融合実験装置「激光IV号」が動き出していたのである。ところでSHIVAは大きな建物全部を占領するほどの大がかりな装置だったのに、「激光IV号」は他の実験装置と同居していて、こじんまりしたものである。これはレーザー・ビームの数がSHIVAは20本、「激光IV号」は4本という違いからだろうが、ビーム1本当たりの出力は両者ほとんど同じだと聞いてびっくりした。

「それは燐酸ガラスの勝利ということなんですが、これが出てからアメリカはガラスを切り替えにかかったのです。ところが燐酸ガラスの供給メーカーは世界中でもドイツのショットと日本の保谷しかない。結局アメリカは保谷がアメリカに溶解工場を作ることを条件に、保谷の燐酸ガラスを使うことに決めたのです。それで保谷はサンフランシスコ郊外に工場を作り、1981年9月から操業を始めています。」当事者だけが知る山中先生の話は、一言双句が歴史の重みをもっていた。燐酸ガラスは特殊ガラスであるだけに、あまり一般には知られていないが、日本から米国に逆輸出された先端技術の典型として、特筆大書されて然るべき出来事だと思う。

阪大のガラスレーザー・核融合研究も「激光II号」から始まって、だんだんパワーをアップし、現在は「激光XII号」建設が行われている。レーザー出力は20kJというから、私が5年前に見て驚いたSHIVAの倍であり、いま建設を急いでいる世界最大のNOVAに比べても5分の1のパワーである。「激光XII号」が完成した時には、世界第一位の規模になることはまず間違いない。

ヨーロッパはトカマク方式による共同研究装置JETにばかり心を奪われて、レーザー核融合では日本(つまり阪大が)にすっかり遅れをとってしまった。私が訪問した1978年末に出されたEC委員会の報告は、「米、ソ、日本は急速にこの分野の研究を加速しており、欧州もトカマク1本やりの方針を転換する必要がある」と警告していた。

第1は研究人員でLLLでは当時SHIVAだけに375人がかかりきっていた。阪大の研究センターは全部合わせても100人ほどで、しかも専任職員は30人だけ、あとは大学院生や企業からの派遣だという。「研究者を養成しながら戦っているようなものです」という言葉には、切実なひびきがあった。

第2は、アメリカではレーザーをはじめとする慣性核融合研究は軍事研究に入っており、同じエネルギー省の所管でも局が違う。そのため、研究発表が制限されて研究者の不満のタネになっている。「どの部分が秘密なのか」という私の質問に対して、「ターゲット(標的)のデザインに関する部分で、ここは水爆に利用できるので軍機密になっている。しかし、レーザー技術は全部フリーだ」という答えだった。「ターゲットがどうしてそんなに機密なのか」と重ねて聞くと「レーザーを起爆装置にした核兵器はまだどこにもないだろう。ああ、みんなしゃべってしまいそうだ」と、サマーズ君は首をすくめて見せる。話はそこで終わってしまった。

これに関連して、山中先生からも面白い話をうかがった。1982年5月、カナダで開かれたレーザー・プラズマ国際会議で山中先生が「キャノン・ボール」と命名した新しいターゲットのデザインを発表したところ、アメリカ勢はシーンと静まりかえってしまった。ところがロビーへ出たとたん、みんなが口々に「エキサイティング・プレゼンテーション」(すばらしい発表だ)と、ほめてくれたと言う。

「多分アメリカの連中も同じようなものを考えていたのでしょうが、エネルギー省からこれは秘密だと管制をしかれてしまったのでしょう」と、山中先生は推測していたが、まさに図星であった。事実、アメリカでも学者の間から「安全を損なわない範囲で再検討の要があり、磁気核融合とレーザー核融合の総合的評価を下す上にも管理体制の一本化がのぞましい」という勧告が出されているが、早急な実現はむずかしいようだ。

第3はLLLではガラスレーザー核融合が中心であり、CO2レーザー核融合のほうはロスアラモス科学研究所が分担しお互いに競争している。私がSHIVAの研究者たちに「当面のライバルはソ連か」ときいたら「いや、ソ連のガラスレーザーは260本ものレーザービームのアライメント(整合)に苦しんでおり競争にならない。ライバルはやはりロスアラモスだ」とブレークイーブン一番乗りに対抗意識をもやしていた。資金も研究者も限られている日本では、アメリカの真似はできないかもしれないが、違った方式で競争させることも、研究を活性化し進歩を速める点で有効な手段ではなかろうか。

さて、最近アメリカではいわゆる“レーガン・カット”で、レーザー核融合の研究費さえ削減の対象になっているという。しかし、レーガン大統領の科学技術顧問であるジョージ・キイワース博士は1982年2月、米議会科学委員会の演説で、核融合研究にふれて次のように述べている。「核融合研究は、人類がこれまでに挑戦した最も困難で複雑な技術開発といえるが、すべての国の将来に差し迫った重要性をもっている。現在はトカマク方式に最重点が置かれ、それ以外の方式は資金面の制約もあって、やや軽視されてきたきらいがある。しかし、最近のトカマク方式の不確定要素を考えると、今後は最良のトカマク代替方式を識別するための努力が行われるべきだろう」

阪大では、ブレークイーブンを目指すNOVA級の「金剛計画」が1980年からスタートしていると聞くが、前期の5年間の150億円はともかく、後期の5年間に必要になる5〜600億円の資金については、まだめどが立っていないそうだ。育児の秘訣は「小さく生んで大きく育てる」ことだというが、阪大レーザー核融合研究センターは10歳になったいま、世界から注目される存在に成長した。しかし、これからさらに大きく育つには、国や文部省、政治家や国民が、暖かいまなざしで見守るだけでなく、育ち盛りにふさわしい食事を与えることが必要ではなかろうか。」                                                                              (つづく)

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山中 千代衛